極彩色の白黒

今日も一日ポテチがおいしい。

失恋ソングが好きという話

失恋ソングは綺麗だという話をしたら、反応が良くなかった。

 

ぼくは失恋している状態が好きなんじゃなくて、失恋ソングが好きなんだと付け加えたほうが良かったのかもしれない。

 

失恋ソングがなんで好きかという話をすると、綺麗だからなんだよ。

生きてる人の感情を一番生々しく感じることができるから好きだ。

感情が綺麗に現れてる、メロディーにも歌詞にも。

 

好きな曲は沢山あるよ、もちろん失恋ソングだけを専らに聞くわけじゃない。

ぼくはEDMも好きだし、ボカロも好き。前者は歌詞の無い曲だけでこんなに泣けるのかってぐらい、ハマった当初は感動したね。後者は本当に最近色々聞き始めたんだけど、綺麗だよね、ジャンルが多岐に渡ってとてもここでは話せる余白はないんだけど。

 

でもぼくはやっぱり失恋ソングが一番好きだよ。

 

どこにもぶつけようのない気持ちを全部曲に流し込んで、それをぼくが全身全霊で受け止めるんだ。

相手のことは知らない、会ったこともないししゃべったこともない曲の向こうにいる人が、フィクションだかノンフィクションだか分からないけど失恋をテーマにして曲にしたものを、ぼくがこの情報化社会の端っこで救い上げる。

 

摺り合わせをしているんじゃないよ、そんな簡単な感情移入じゃない。

ぼくの記憶に重ねることで感動に似たものを得ているなら、失恋ソングは一番好きにはならないよそれは嘘だ。

 

たった一つのテーマを綴った曲がこの世界に数えきれないほど溢れているなんてそれだけでも綺麗なんじゃないか全人類の感情の濃縮だ。

 

対象がはっきりしているからなんだろうか、誰かへの想いっていうのは本来ぼくは知りえないもので、ぼくはその矢印の間に入ることはないし、何も媒介しないで対象に届くべきなもの。ほんとうかな。

 

辛い

悲しい

しんどい

憎い

 

とかの感情に溺れているときって、人、素直になっていることが多いと思うんだ。

とても人間臭い。

 

でもこれらの単語って曲のなかではあんまり見ない、感情は他の単語を媒介して伝わって来ようとする。元恋人が残していったブレスレットだったり、洗面台の歯ブラシだったり、よく一緒に訪れた場所だったり、それは実に様々で、人は、失恋した時の感情をどうにかこうにか直接的な言葉を使わないで必死に表現しようとする。だから歌詞までなめつくすように何度も何度も聴くんだよ。

 

HSPかもしれないって1年前から思っていて、ぼくはたぶんぼくの中にもう一人のぼくを飼っている。

ぼくはぼく自身の当事者だけど、もう一人のぼくは人の感情が大好物で、どんな感情でも強ければ強いほどごちそうだと言っている。

 

ぼくが悲しんでいるときも、嬉しい時も、もう一人のぼくはそれを喜んでいて、夢を食べる獏みたいにぼくの感情を取り込んでいる、ぼくのだけじゃない、他人の感情も。

 

絵を描くことが好きだと言ったね、最も最近は忙しくて大作を描けていないんだけれど。それと他の表現方法を習得してしまって、そちらでの表現が多くなったのかな。

 

何か強い感情を取り込んだ時、もう一人のぼくはそれを現実世界にものとして持ってこようとする、生を授けようとする、bring to lifeって英語ではいうんだっけ。

それはものすごい根源的な欲求で、食べたい寝たいとかと同じくらいの階層にそいつはいる。

 

たぶんこの性質に失恋ソングの持つ純粋な感情エネルギー爆弾がミラクルヒットしてしまったんだと思う。

 

矛盾する感情を全く同時に抱くことになるんだ、ぼくが失意のどん底にいても、もう一人の自分はそれを綺麗な感情の現れとして捉えるから、ぼくにもっと苦しんで欲しいと願う。不思議だね。

 

 

人間が好きなのかな、どちらかというと好きではないんだけどな。