水彩画の制作過程を記事にしてみた。
これはぼくが最近、いや2か月前に描いた絵です。
インスタグラムには「神隠し」という題名で投稿したのですが、後からPixivに投稿するときに「あの日ぼくは。」という題名に変えました。
大学2年生になってから絵筆を握る時間が極端に減って、焦りを覚えているのが正直なところです。
なんなら来世は美大に行きたいなあとさえ思ってしまうこの頃。
いつの間にか師走になっていて、11月?⁉!どこに消えたん⁉⁉とよく考えてみたら、
計画性のないぼくはそう言えば設計演習に追われて、日々生き延びることを目標に生きていたことに気づきました...
建築学科しかこの人生で経験したことがないので、安易に他学科と比べることはできませんが、この鬼きつさは何なんだろうと、ぼくは果たして何のためにこんなにあくせくしているんだろうと哲学モードに何回も入っていました。
はい、本題に入りましょう。
簡単に言うと、この絵をどうやって描いたか、のダイジェスト記事です。
水彩画は、一枚の絵に幾重もの色と時間のレイヤーが重なっていて、どうやって色を重ねるか、が一番の肝になっています。
また、数多くの描き方があるので、もちろんこの記事が全てとは限りません。
しかもぼくは毎回この描き方で描くわけではありません。
世の中にはぼくの何千倍、何億倍も上手な人がいて、ぼくはまだまだ学ばないといけないことが沢山あります。
ぼくは普段、絵を一枚書き終わるまで途中経過の写真をめんどくさがって撮らないことが多いのですが、この絵は珍しく数枚記録に残していたのでこうやって記事に起こすことにしました。
早速制作過程ダイジェストに入ろうと思います。
書き忘れましたが、ぼくがこの絵で使っている画材はホルベイン透明水彩24色、ターナー色彩透明水彩絵具24色と宝虹水彩紙(細目)です。
①一番下のウォッシュを乗せる。
鉛筆で最低限の下書きをしたら、全体のベースになるテーマ色で、全体像をある程度決めます。
と、その前にやることがあります。
目的は、最後のハイライトで紙の白さを生かすため、と、最初のウォッシュで色を綺麗に滲ませるためです。
この「ウォッシュ」と呼ばれる技法は、結構有名で水彩画の基本になります。
一番最初に乗せたウォッシュの色が最後まで残る、と良い作品だといわれることがあるくらい大事です。(色んな技法があるのであくまでも一意見ですが...)
ぼくは今回、鬱蒼とした森の中に一匹の鹿が佇んでいて、そこに一筋の光が差し込んでいる絵を描きたい、と思ったので、最初のウォッシュで左右に青い水を沢山含んだ水彩絵の具を乗せました。
なんとなく青と緑の絵の具で枝がどこまで伸びていて、木の影がどこらへんかを決めました。
たぶん、青→コバルトブルーヒュー、ウルトラマリン、コバルトブルー
緑→コバルトグリーン、パーマネントグリーン
かなぁ、、、色彩検定取ったのにしっかりと覚えてなくてだめですね。
最初のウォッシュが十分に乾いたら、次に移りまし。
②2回目のウォッシュ
またウォッシュでございます。
先ほどより濃くなりました。最初はこのようにして色を重ねていきます。
レイヤーを重ねるイメージで、ウォッシュが乾いたらもう一層、乾いたらもう一層、と重ねていきます。
短気なので乾かすのにドライヤーを使います。(いいえむしろ色むらが少なくなるのでお勧めです。
水彩絵の具は乾くと色が濡れているときと比べて薄くなるので、色を乗せるときは濃いめにのせます。
何層もレイヤーを重ねながら、だんだんと枝や影を描いていきます。
③枝が見えます。
白いのが見えますね、一番最初に乗せたマスケットインクのありがたさが分かります。
たぶんここまで6,7層レイヤーを重ねました。
枝は完全にフィーリングです。WEBで参考画像を漁って、影の落ち方などが不自然にならないようにします。
にょきにょきにょきにょき。
にょきにょきにょきにょきにょきにょきにょきにょき。
茶色を登場させました。きっとバーントシェンナかバーントアンバーあたりです。
枝や森の影を更に深化させていきます。
影に黒を使わない、これ大事です。
今回はテーマ色が青なので、特に濃い青を協調させて色を乗せていますが、他の被写体が登場する回でも影は濃い青を使うとこなれ感がでます。
ここで影を強調しすぎたのに気づいたぼくは、枝を描き加える段階とこの後の修正に一番多くの時間を使いました。
次は光と鹿を最後に加えていきます。
④修正を頑張りました。
あんまり変わってn(
そんなことはあるかもしれません。
とにかくここのセクションでは光を加えます。
差し込んで欲しいところをはっきりさせるため、マスキングテープを貼りました。
直線をフリーハンドで描くのは難しいので、こうやって人外の力に頼ります。
マスキングテープの外側にお気持ち1,2層の青い空気と枝のレイヤーを重ねます。
紙が乾いたらテープを剥がします。焦って濡れたまま剥がすと紙がかわいそうなことになるので、ドライヤーでえいやっ!とやってしまいます。
そして遂にこの絵の主人公となる鹿を描いていきます。
鹿と周りの光が当たっている部分に乗せていたマスケットインクを剥がします、マスキングテープじゃないです、インクの方です、紛らわしい。
マスケットインクは乾くとゴムみたいになります。
乾いていない状態の時は、ドロドロした液体のような感触です。
筆に致命傷を与えるので、筆でマスケットインクを乗せるときは傷んでも大丈夫な筆をおすすめします。
微調整、微調整。
鹿の明るさが足りなかったので、反則技を使いました。白絵の具です。
角の部分に白を乗せました。
絵から一歩下がって不自然な部分の微調整を繰り返して、気が済んだら完成。
完成しました。
大体3.5時間かかりました。
描き終わるとやっぱおえかき楽しー!となります。
水彩ってこんな感じで描くんだよというダイジェスト紹介記事でした。
こだわりPOINTは沢山ありますが、全部言ってしまうとなんとなく綺麗な絵がなぜ綺麗なのかが明るみにでてしまうので、ここではあえて書かないことにします。
水彩って面白いと一人でも多くの人が思ってくれたらうれしいな。
そしてぼくは来週の複素関数論のテスト勉強に戻ることとします。
建築計画Cの授業でレポートを描いたのですが随分とポエムになりました。
ルイスカーンの映画を見て思うところを書け的なレポートが出されました。
ぼくに隙を見せたのが悪いので自分語りをオタク特有の早口でしてきました。
PDFを載せておきます。
学問としての建築
最近書くネタがないなと思って、新しい言葉を綴るのが億劫になっていました。
実際、ぼくはいつもの学園生活(笑)に戻ってバイト、勉強、家事、交友などに追われる日常に戻り、考える時間も自ずと増えたような気がします。
と言うより、非日常の環境に置かれていると脳が思考よりも優先して処理しなければならないことが沢山あって、気づきが減ることがありそうです。
脳が絶えず刺激に晒されていて、忙しい。
ぼく自分自身や周りに対する気づきが時々ふっと首をもたげた時、それをじっくりと咀嚼するにはやはり日常の中だなぁと思うこの頃です。
もうそろそろ隠居生活するおばあちゃんのような文章を書いてしまいました。
なんで書こうとしたのかは、それはまあ新しい考え方が出てきたからです。
ここは思考の掃き溜めなので、ぼくの思考や成果物(結局全部InstagramやTwitterに流れてしまっているけど)の変遷の記録として後世のぼくに渡す絵巻物となることが最重要使命なのです。
_______________(11/9 3:57)
そして飽き性のぼくは余程のエネルギーがないと1本の記事を一気に書きあげることが難しく笑(全く笑テヘじゃない)
この記事を描き始めたのが大体3週間前で、、、
またもたもたしていると本題に入る前に飽きてしまうのでさっさと書きます。
タイトルにもある通り、ぼくはちょっとだけ学問として建築を見つけることが出来た気がするのです、夏休みが終わってから。
というのも、建築完全に理解した!という意味では決してなくて(1つの学問であるので一生を費やしても完全には理解出来ないし、人生を費やす価値があるものだと思っているし、限られた時間の中で何かを見つけないといけないとは思っている。)、根底にしっかりとした理論があって、気まぐれにエゴだけでやれるものではないんだなとポンッと腑に落ちたのです。
今まで「エゴ」だの「自己表現の場」だの、多少は建築家さんもクリエイターなので、個性を出したいという人間の基本欲はあるにしても、それを強く感じて建築わからん!w となっていたのは、まだまだ地に足を付けていなかったからなのか、と分かった。
実態のないものをずっと追いかけていかなくてはならない気がして(現実、正解はなく、適解が複数あるだけ)、それならば「それ」に携わっている人たちは何で自分を持たせているのか、物理的にこの世界に自分の成果物を作り上げる成功体験か。正直それはあるし、自己陶酔に陥ることもある、なぜなら自分の成長がtangibleなものになる訳だから。
だが、先人が築き上げてきた理論がなければその過程を経ることが不可能であることに気づいた。結果的に自己満となっても、しっかりと客観的な自己満に浸ることを可能にするためには理論を踏まえて歩いてこないといけない。
ここでぼくは、建築を「勉強出来る実態のあるもの」として再認識した。
ナウシカを読みました。
ナウシカを読みました。
ぼくのバイト先の先輩が読んでいて、おすすめされてぼくも読んでみました。
実はぼく、ナウシカとゲド戦記とラピュタを映画で観たことが無くて、いや観たことがあるかもしれないけど、1㎜も覚えていない状態なのです。
先輩が、「現代の社会を風刺しているようだ」と言っていましたが、確かにそうだなあと読んで感じました。
自然破壊、権力争い、信仰の違いによる衝突、戦争…
ついこの前もアマゾンの森林火災が何週間も続いていて、遠い世界で起こっているような錯覚を覚えながらニュースを見た覚えがあります。
ぼくはもう一つの本を読み進めている最中なのですが、まだ完全には読み終わっていなくて、まだ全体の感想のようなものは書けません。
2/5ほど読んでますが、だんだん話が難しくなってきてGive Upしてしましそうです…
そのぼくが読んでいるもう一冊の本は、「負ける建築」(著者: 隈研吾)という本です。
読んだことのある方も多いかと思います。
ぼくが何個か前の記事で書いた『建築物が建築家のエゴによって生成されたもの』という建築学そのものに抱いてしまった疑念を打ち砕く、まではいかなくとも、何か新しい観点に立てるのではないかと期待して手に取った本です。
(ここで『 』の内容について補足かつ、自分自身の整理も兼ねて少し書きます。建築物に対して美しさや良い機能性などを見出せなくなった、のではなく、依然としてピラミッドやエッフェル塔が美しいと思うし、こだわった内装に居心地の良さを感じるが、その背後にある人間の下心、自分を表現しようという欲が見え隠れしているように感じてしまうのです。しかしそれの是非を問うつもりはなく、欲丸出しでも良い建築ならそれでいいのです。ただこの疑念を抱いたままそれらを見ると、全てのではないけれど、一瞬良さや美しさが色褪せて見えてしまうのです。)
建築は象徴、という話から本が始まりました。
具体例を挙げます。
9.11、アメリカ同時多発テロでハイジャックされた二機の旅客機がワールドトレードセンターに突入しました。
ここでのワールドトレードセンターは、世界の貿易中枢のとしての象徴、ニューヨーク市の象徴などの役割があります。
象徴が崩れる瞬間は何を意味するか考えてみました。
信条の崩壊でしょうか、信頼の崩壊でしょうか、歴史の改変でしょうか、名声の墜落でしょうか、安心の喪失でしょうか。
どれにしろ人の心を大きく揺さぶるものとなります。
スカイツリーのない東京都、屋久杉のない屋久島、富士山のない静岡、凱旋門のないシャンゼリゼ通り。
ナウシカに話を戻します。
おなかすいたので一旦ご飯作ります。
10/13 ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
○○祭が両日中止になってしまいました。
何ヶ月も前から準備をしてきた学生団体や実行委員の心中を察するといたたまれないです。
ぼくも部員の1人として準備に参加していたので、台風19号が来たタイミングを恨んでしまいました。
このようにして、突如暇な時間が訪れ、書きかけのこの記事を最後まで書かねば〜となりました。
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だいぶ長い時間ご飯を作っていました。
いきなり書きたい本題に入ります。
上手く説明出来る気があまりしないので、ここからはぼく自身への備忘録として使います。
ナウシカは最後に
インターンを終えて
ぼくは先日、三週間のインターンを終えました。
この写真は実家近くにある公園の一角です。
(興味深い事例といいますか、かなり勉強し甲斐がある公園なので余裕があれば1記事丸々このことについて書きたいです。)
すぐに書かずに数日置いたのは、少し考える時間が欲しかったからです。
インターンが終わった当日は、明日からもう行かなくていいんだ、と責任のようなものから解放された感覚がぼくの大部分を占めていました。
もちろん色んな学びを得ることができた、新しい刺激をもらった、中国語が上達した、など考え付くことは沢山あったけれども、最後の勤務を終えてしばらく経たない間は全体の総括を冷静にできないと思ったからです。
2日置いた今、まとめを書いていきます。
1. 中国語について
2. ソフト類について
3. 建築に対する見方について
上の三つのパラグラフに分けて書きます。(突然の学術英語並感)
1. 中国語について
ぼくは書き言葉が苦手といいました。
これはそこまで改善されていなくて、まだ語彙力が足りずにすらすら書けません。
それと実はピンインも苦手でした。
お仕事の内容について、2で少しだけ触れますが、まあパソコンポチポチするので全てピンインでの入力となります。
今まで中国語を打つ時は手書き入力が多かったので、初めは正しい漢字が出てくるまで何度も試行錯誤しました。
さすがに三週間パソコンに向き合い続けると嫌でも覚えてしまいました。
如何にして中国語上達を図るかを論じるつもりはないので、結果として話すことと書くことで小さくない上達が見られました、ということでまとめます。
(ぼくがなぜこの話題を一番目に持ってきたかというと、インターン1、2日目で自分の語学力の無さが引け目を取ってしまっていることに気づいたからです。
図面ばかりひいている訳ではなく、書類作成もするし、他の人と交流もするし、専門用語に限らず日常会話でもつっかえて言葉が出てこないことがありました。それでも仕事はなんとか出来そうと思われそうですが、会話が上手く運ばないと、相手がそう思っていなくても自分で遠慮して小さなことをわざわざ相談せずに自分で解決する効率が悪い方を選んでしまったり、上手く考えを説明できずにもどかしい思いをしたり、ぼくか一回で理解できずに何回も説明させてしまうことに申し訳ないと感じたり、、、
要求は厳し目かもしれないが、やはりネイティブスピーカーほどの力は欲しいと思いました。)
2. はすぐに追加します。
9/29;
怠慢はよくないです。
ぼくは日本に帰ってきてから、バイトやら家事やら手続きやら人付き合いやらで、忙しいを盾にして今日まで延ばしてしまいした。
2. ソフト類について
お仕事では主にCADとPhotoshopとSketchUpとInDesign、Illustoratorを使いました。
具体的なことは書けないのですが、インターン生用に用意されたプログラムというものは無くて、正社員(?)のお手伝いまたは同じことを見様見真似でしました。
故に、納期というものも存在したし、自分が早く終わらなければ隣の人に迷惑がかかるプレッシャーもありました。
幸いぼくが配置された部署は優しい人ばかりで、仕事の合間にまだ大学2年生のぼくに色々教えてくださったり雑談もしたりしました。
国内の建筑系は五年制で、それを卒業してからインターンに参加するのが普通なので、2年生です。と言うとそれを踏まえて接してくださって、気が随分と楽でした。
さて、本題のソフト類のお話に入ろうと思うのですが、日本との違いはやっぱり学校で教えて貰える点、そして学生なら海賊版を使用できる点だと思いました。
ぼくなんか、一年生の頃にCADのOffsetと印刷の仕方だけ授業で教わってCopyもMoveもEraseも全部触って自分で覚えました。(たぶんみんなそう)
それに比べて、レンダリングソフトの使い方も授業でやるらしく、正直、いいなあと思ってしましました。全体としてのレベルは敵わないだろうなあ…
ぼくが一時間かけて一つの断面図を描くのに隣の人は15分で終わらせる…
経験数とか歳のせいもあるのだろうけど、上には上がいるんだなあ、と思って少し嬉しくなりました。
ぼくが設計を決める機会はそんなに多くなく、既に固まった案を文本に起こしたり、簡単な図面を描いたりしました。
主にPhotoshopをずっといじっていて、知らなかった加工方法を自分で調べたり、他の人が教えてくれたり、Photoshopの腕は少なからず上達したのではないかと思っています。
実際に仕事でしたものは紹介できませんが、インターンが終わった後にPhotoshopを触ったことがあるので、その時にいじった写真を載せます。
右が加工前、左が加工後です。
具体的に何処をどうしたのかを説明します。
1.雨のレイヤーを二層、奥側の細い雨と手前側の雨粒が見えるぐらいのレイヤーを加えた。
2.晴天特有の日光で生じる葉の反射や透けている部分、屋根の明るい部分を暗くした。(太陽の存在を消した。)
3.雨の日は太陽光が弱くなっているのでトーンカーブを用いて比較的明るい部分から中間層の明度の部分を全体的に暗くした。
4.特殊ブラシで雨粒の跳ね返りを加えた。(拡大しないと分かりにくいです…あと切れている部分もあります。)
雨の粒を描く方法はネットで調べました。
誰でも調べれば多くのことは載っているので、そんなに難しくないと思うのですが、
長時間のパソコン編集作業に対する抵抗感が全くなくなっていることに気づきました。(もともと好きだったというのが大きいかもしれませんが…)
ぼくは他にも昼の建物の画像を夜のライトアップされた画像に作り替えたり、文本のお手伝いを沢山したりしました。(画像はお見せできません…)
最後にレンダリングソフトについてのお話を少しだけします。
2. Grasshopperについて/ぼくが真似したり作ってきたりした簡単なモデリング
忘れないように一応置いておくが、ボチボチめっちゃ長くなりそうなこの記事も書き始めたい。
インターン2日目が終わって
そろそろ寝ようと思っていたけれど、寝たら今考えていることを忘れてしまいそうなので、書きます。
先程某先輩のFacebookのポストを読んで、衝撃を受けました。
自分、何も知らないじゃないか……と思ったのです。
ぼくは何しにここに来たんだ。
3個ぐらい前の記事で「建築物が建築家の自己表現の場に見えてしまって、興味を失いつつある」と書いたけれど、ぼくは何も知らないでそんなことを書いてしまったと思った。
せめて知識や経験を最低限付けてからモノを言えと思った。
言い訳かもしれないけど、知識を付ける、と自分で書いて、ぼくは言葉を覚えるのが苦手ということを思い出した。
具体的にいうと、
①平仮名や漢字だけで構成されている文字を、順序逆にしたり少しアレンジして覚えることがよくある。(cf. ののしる→のししる、まぎらわしい→まらぎわしい)
②画像の名前を覚えることが苦手で、画像を覚えていてもその名称は基本3回ぐらい覚えようとしないと覚えられない。
③人の名前が覚えられない(顔もだが、顔は比較的覚えている)
ここまで書いて書いた理由を忘れてしまったのだけど、知識を付けるって何するの?という話である。
思い出した。
図書館で本を借りてただ読んでも、私は図でしか覚えないので、人名や建築物の名前はほとんど(0と言ってもいい)頭に残らない。
これはただ頑張ってない、のかもしれないけどこの方法はぼくにとって恐ろしく効率が悪いことは明白だ。
覚えているのは、例えば「スペインにあるステンレス製の外壁がうねった美術館」、で「グッゲンハイム美術館」という固有名詞は出てこない。
こういうものを覚えるのは日々の努力+αしないとぼくには厳しそうだ。
インターン先で良いサイトを教えて貰ったのでそれも活用して地道に身につけようと思う。
そうすることで、自分の中のストックというか引き出し、参考資料も多くなり、思考する際にヒントを探しやすくなることを期待したい。
ここまで、先輩のポストを読んで自分しっかりしろよ!!と思ったことで、まず「知識面」について書いた。
「経験」については、まだ考えがふわふわしていて、ここで書くには至らなさそうだ……
衝撃を受けたことと少し絡めて、、、
只今絶賛インターン中なのだが、早々と思い知らされたことがある。
①語学力
②ソフトウェアを使いこなす力
- ①について。
ぼくは日本語が母国語である。
生まれ育ちが日本なのだから、それはそうである。
中国語を使う機会と言えば親や親戚と話すくらいなので、こういった長い文章やニュースなどの堅い言葉、書き言葉はとことん苦手だ。
詳しいことは書けないが、例えば「コンセプトを説明する文章を考えて欲しい」と言われて、ぼくは話し言葉をパッチワークのように繋げた文章しか書けず、自分に失望した。
むしろ英語の方が書くことに慣れているので(少なくとも受験で散々書いたので)、英語でコンセプトの説明したいと思ったほどである。
簡単に言えば課題は「書く能力を向上させること」。
- ②について。
中国に限らないと思うが、日本以外の多くの国の建築学科の授業には「ソフトの授業」が組み込まれている。
逆に質問されたのだが、「授業でソフトの使い方を教えてくれないのなら、授業では何をしているの?」と聞かれた。
(計画や力学、環境をやっているよ。と答えた。)(力学は日本は比較的早く教わっているらしい)
CAD、SU、PS、InDesign、、、
自分で少し齧ったからなんとか仕事を貰えているものの、もしPSすらまともに使えなかったら何もさせてもらえないところだった。
こういう人と戦っていくんだなと思うと空恐ろしいと感じた。(ソフト面だけを見ると)
伝えたいことを的確に表現する能力、ソフトを使いこなす速さ、、、
ここで差が出てしまうのは勿体ない。
最後に。
具体的なことは伏せるが、
今ぼくは、実際に設計をする現場に入らせてもらっている。
まだ2年だから、出来ることは少ない。と言えてしまうのが本当に悔しくて、自分の無力さを痛感しているところだ。
2日目にしてぼくが学んだことは幾つもあるが、ここではまだ書かないことにする。(本来某先輩のポストを読んで衝撃を受けた!のがテーマなので)
自分がやるべきこと、自分ができること、自分が挑戦できること。
残りの20日ほどを大切にしていきたい。