ナウシカを読みました。
ナウシカを読みました。
ぼくのバイト先の先輩が読んでいて、おすすめされてぼくも読んでみました。
実はぼく、ナウシカとゲド戦記とラピュタを映画で観たことが無くて、いや観たことがあるかもしれないけど、1㎜も覚えていない状態なのです。
先輩が、「現代の社会を風刺しているようだ」と言っていましたが、確かにそうだなあと読んで感じました。
自然破壊、権力争い、信仰の違いによる衝突、戦争…
ついこの前もアマゾンの森林火災が何週間も続いていて、遠い世界で起こっているような錯覚を覚えながらニュースを見た覚えがあります。
ぼくはもう一つの本を読み進めている最中なのですが、まだ完全には読み終わっていなくて、まだ全体の感想のようなものは書けません。
2/5ほど読んでますが、だんだん話が難しくなってきてGive Upしてしましそうです…
そのぼくが読んでいるもう一冊の本は、「負ける建築」(著者: 隈研吾)という本です。
読んだことのある方も多いかと思います。
ぼくが何個か前の記事で書いた『建築物が建築家のエゴによって生成されたもの』という建築学そのものに抱いてしまった疑念を打ち砕く、まではいかなくとも、何か新しい観点に立てるのではないかと期待して手に取った本です。
(ここで『 』の内容について補足かつ、自分自身の整理も兼ねて少し書きます。建築物に対して美しさや良い機能性などを見出せなくなった、のではなく、依然としてピラミッドやエッフェル塔が美しいと思うし、こだわった内装に居心地の良さを感じるが、その背後にある人間の下心、自分を表現しようという欲が見え隠れしているように感じてしまうのです。しかしそれの是非を問うつもりはなく、欲丸出しでも良い建築ならそれでいいのです。ただこの疑念を抱いたままそれらを見ると、全てのではないけれど、一瞬良さや美しさが色褪せて見えてしまうのです。)
建築は象徴、という話から本が始まりました。
具体例を挙げます。
9.11、アメリカ同時多発テロでハイジャックされた二機の旅客機がワールドトレードセンターに突入しました。
ここでのワールドトレードセンターは、世界の貿易中枢のとしての象徴、ニューヨーク市の象徴などの役割があります。
象徴が崩れる瞬間は何を意味するか考えてみました。
信条の崩壊でしょうか、信頼の崩壊でしょうか、歴史の改変でしょうか、名声の墜落でしょうか、安心の喪失でしょうか。
どれにしろ人の心を大きく揺さぶるものとなります。
スカイツリーのない東京都、屋久杉のない屋久島、富士山のない静岡、凱旋門のないシャンゼリゼ通り。
ナウシカに話を戻します。
おなかすいたので一旦ご飯作ります。
10/13 ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
○○祭が両日中止になってしまいました。
何ヶ月も前から準備をしてきた学生団体や実行委員の心中を察するといたたまれないです。
ぼくも部員の1人として準備に参加していたので、台風19号が来たタイミングを恨んでしまいました。
このようにして、突如暇な時間が訪れ、書きかけのこの記事を最後まで書かねば〜となりました。
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だいぶ長い時間ご飯を作っていました。
いきなり書きたい本題に入ります。
上手く説明出来る気があまりしないので、ここからはぼく自身への備忘録として使います。
ナウシカは最後に